東京地方裁判所 昭和37年(ワ)9080号 判決 1963年9月18日
判 決
東京都千代田区神田神保町二丁目一一番地
原告
布施吉彦
右訴訟代理人弁護士
上山義昭
東京都文京区春木町一丁目一九番地
被告
岩片医療器株式会社
右代表者代表取締役
岩片幸雄
右訴訟代理人弁護士
森謙
右当事者間の昭和三七年(ワ)第九〇八〇号損害賠償請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
1 被告は原告に対し金二、三七八、三六八円およびこれに対する昭和三五年一二月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求権を棄却する。
3 訴訟費用は被告の全部負担とする。
4 この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「1被告は、原告に対し金三、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和三五年一二月二一日以降完済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え。2訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、昭和三五年一二月二〇日午後零時三〇分頃東京都千代田区神田駿河台三丁目九番地先私立中央大学正門前歩道上において、原告は、訴外阿部守の運転する貨物用軽三輪自動車(る―第四四五八号。以下「被告車」という。)に激突されよつて原告は左大腿骨々折、右大腿骨々折等の傷害を受けた。
二、(以下省略)
理由
一、請求原因第一項(本件事故の発生および原告の受傷)の事実は、当事者間に争いがない。
二1、請求原因第二項(責任原因)のうち、被告会社が訴外阿部守の使用者であつて、本件事故は、同訴外人が被告会社のため被告会社所有の被告車を運転していた時に発生したことは、当事者間に争いがないから、被告会社は、特段の免責事由がないかぎり、自動車損害賠償保障法第三条本文の規定により原告の受けた後記損害を賠償すべき義務がある。
2、そこで次に被告会社の抗弁について判断する。
(証拠―省略)を綜合すれば、訴外阿部守は、事故の当時被告車に投薬瓶(一二〇CC)一〇〇本などを積載して小川町交差点から聖橋方面に通ずる巾員一八米のアスフアルト舗装道路を聖橋方面に向い時速四〇粁を越える速度(なお同道路の制限速度は、時速四〇粁である)で進行し、事故現場の手前約一五米の地点に達したところ、突然被告車の前方二米位の地点に足踏二輪自転車に乗つて同道路を左方から右方へ横断せんとする氏名不詳者が飛び出して来たため、その衝突を避けるべく急遽ハンドルを左に切つたこと、しかし右のごとき高速度で進行中突然ハンドルを左に切つたため、左後車輪が遠心力によつて浮き上り、急制動の措置をとるも及ばず、運転の自由を失つて、そのまま左斜の前方の私立中央大学正門前の街路樹に激突したこと、ところがたまたま同街路樹の前の歩道上に原告が佇立していたのであるが、突嗟のこととて逃げるいとまもなく、その両足を被告車の前車輪と右街路樹との間にはさまれて左右の大腿骨々折の傷害を受けたことが認められ、右認定に反する(証拠―省略)の一部は、措信できない。
右認定事実に徴すれば、本件事故の発生は、訴外阿部守の運転上の過失に基因するものというべきであつて不可抗力によるものということはできない。なるほど被告主張のように被告車の前方二米位の地点に氏名不詳者が足踏二輪自転車に乗つて飛び出して来なければ、本件事故は発生しなかつたであろう。その意味で氏名不詳者の無謀なる運転が、本件事故の発生に重大な影響力を及ぼしたことは否定できない。しかし、事故の現場は、前叙のとおり私立中央大学正門前であるから、自動車の運転者たる者は、当然その附近では同道路を横断する者があるかもしれないことを予想し制限速度内で進行すべき義務がある。しかるに同訴外人は、制限時速を越え、左転把によつて左後車輪が浮き上る程の速度で進行したため、運転の自由を失い、歩道上に佇立していた原告に激突したのであつて、もし同訴外人が右のごとき高速度で進行しなかつたならば、或いは本件のごとき事故を惹起することを避けえたかも知れず、少くとも事故を最小限に喰いとめて、原告に対し前記のごとき重傷を与えずにすんだことは、想像に難くない。従つて本件事故を不可抗力によつて発生したものということはできない。同訴外人に対する業務上過失傷害被疑事件につき犯罪の嫌疑なしという検察官の不起訴裁定処分が存在すること(この事実は当事者間に争いがない)は、右認定を左右するものではない。
してみると被告会社主張の抗弁は爾余の点を判断するまでもなく失当であること明らかである。
三、そこで進んで損害の点について判断する。
(得べかりし利益の喪失による財産的損害)
1 (証拠―省略)によれば、飯田橋公共職業安定所ほか三職業安定所における自動四輪車運転者の一ケ月の求人賃金は、未経験者で平均金九、〇〇〇円、最高金一一、〇〇〇円、一年乃至三年の経験者で平均金一三、〇〇〇円、最高金二〇、〇〇〇円、三年乃至五年の経験者で平均金一八、〇〇〇円、最高金二五、〇〇〇円、五年乃至一〇年以上の経験者で平均金二〇、〇〇〇円、最高金二五、〇〇〇円であり、また年令四〇才から四九才までの自動四輪車運転者の平均、求人賃金は、金二〇、〇〇〇円、最高求人賃金は、金二五、〇〇〇円で五〇才以上によると平均求人賃金は、金一八、〇〇〇円、最高求人賃金は、金二〇、〇〇〇円であることが認められる。しかして原告が昭和三四年一〇月一一日小型自動四輪車の第一種自動車運転免許を得たことは、当事者間に争いがなく、また本件事故当時原告が満四四才九ケ月(大正五年三月一三日生)の男子であつて昭和三六年四月一日以降小型自動四輪車の運転者として稼動する意思を有していたことは、(証拠―省略)によつて認められるから、特別の事情がないかぎり満六〇才に至るまでの就労可能年数の間、すなわち昭和三六年四月四一日以降昭和五一年三月末日までの一五年間は、小型自動四輪車の運転者として稼動可能であると推認できる。従つて本件事故に遭遇しなければ、原告は、昭和三六年四月一日以降一年間は、小型自動四輪車の運転の未経験者として一ケ月平均金九、〇〇〇円、昭和三七年四月一日以降昭和四〇年三月三一日までの四年間は、一年乃至三年の運転経験者として一ケ月平均金一三、〇〇〇円、同年四月一日以降昭和五〇年三月三一日までの一〇年間は、五〇才以上の運転者として一ケ月平均一八、〇〇〇円の収入を得ることができた筈である。そこでその間の総収入金二、八九二、〇〇〇円からホフマン式計算法(単式)によつて年五分の割合による中間利息を控除し、昭和三五年一二月二一日当時の一時払額に換算すると、金一、八七六、三六八円になることが計算上明らかである。従つて、原告は、本件事故によつて同額の財産的損害を受けたものということができる。
2 (精神的苦痛に対する慰藉料)原告が慰藉料算定の基礎として陳述する事実は、(証拠―省略)によつて認定することができる。また被告会社が原告のため入院治療費等一切を負担したことは、当事者間に争いがないからこの争いなき事実と右認定事実をあわせ考えると原告の精神的苦痛に対する慰藉料は、金五〇〇、〇〇〇円を下らないものと認められる。
四、そこで、原告は、前項1、2の合計金二、三七八、三六八円の損害賠償権を取得したものということができるから、原告請求中右金二、三七八、三六八円およびこれに対する損害発生の翌日たる昭和三五年一二月二一日以降完済に至るまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分を正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書の規定を適用して主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第二七部
裁判官 吉 野 衛